幼かった日々は、

ただ自分に後悔の気持ちを植えつける。






雨にふれたい  後






梅雨が明け、秋が訪れてもは窓を開け放すのをやめられずにいた。


そんな主人の様子を見て、キイチはただ風邪をひくからとそっと窓を閉めるだけで
その行為自体を無理に止めさせることはない。


誰かがの元を訪れていたのは確かである。
それが今はなくなってしまったというのも。


が突然、そっとキイチに対して言葉を紡いだことでそれらを悟った。



「私、雨にふれたかったの。」


「さようですか。」


「でも・・・・梅雨はもう去ってしまったわ。」



それからというものの、は毎年梅雨時になると一箇所だけ窓を開けて自らそこに座りいつまでも視線をはずそうとしない。


時折腕を伸ばし、雨にふれようとする動作は
全身から雨を求めているようにキイチの目には映っていた。



「お嬢様、紅茶が入りました。」

「ありがとう。」


冷えているであろうの身体を心配し、キイチは温かいそれをそっと手渡すと
はカップを両手で包み込みこくりと、飲んだ。



「座って、キイチ。」

しばらく、そこを動かなかったキイチもの無言の圧力に耐えかねて
少し時間をおいてからようやくの向かいに腰をおろした。



「私ね、ただ一言謝りたいの。」

「いつも様が梅雨時に待っている方に・・・ですか。」

はっきりと口にしてもよいものだろうか、と迷ったが
視力がほとんどないこの主人はそんな自分の気持ちもすっかりお見通しに違いない。


目が見えない分、様はに心が見えている気がする。


いつも、キイチはが自分を見るとき決まって心の中を見られているような心地がしていた。
だからこの時も隠さず、思ったとおりのことを言ったのだ。


「知っていたの?」

「お嬢様こそ、私が薄々感ずいているのをご存知だったのでは?」

「ふふふ、そうね。」

あの時に接触していた人物はあれから一度もここを訪れてはいないのは分かっていたが、
それ以来目の前のもはや女性となった主人は、おおっぴらではないものの表情が顔にあらわれるようにまでなっていた。



「私、あの時は幼くてバカだったから。」

「そのような事、」

「ううん、そうなのよ。だから迷惑をかけてしまったの。」




「だから・・・・あの時の独りよがりを、一言謝りたくて。」



キイチは、そう言ったを優しい眼差しで見つめている。


それはまるでを通して今は亡き人物を懐かしんでいる、そんな視線だった。



「少し昔の話をしても?」

「えぇ、構わないわ。聞かせて?」

キイチが進んで自らの話をするのは珍しい。
は大変興味を引かれた。


「私は、ここに様のご両親に仕える前は忍をしておりました。」


まだ自分が若くて、少年から青年へと移り変わるころ。
キイチはある任務で左腕にケガを負ってしまった。
そのケガは普通に生活する分には支障はないが、もはや忍として生きていくことは不可能だという。

精神的にまだ未熟であったキイチは、忍でなくなっては自分が自分として存在できないような気がしていた。
そんな彼の毎日は荒れに荒れて、周りの人間が目をあてるほどになった時
ある人物が自分をそんな生活から救い出してくれた。


それが、の両親である。


父親が見るに見かねて自分の屋敷で働かないか、と話を持ちかけてきた。
初めは断っていたキイチだが、彼の熱心な誘いと半ばどうにでもなれという気持ちから翌日からの父親の元で働くようになった。

「それが、様が生まれる以前のお話です。」

「そうだったの。」

「それからは、貴方様のお母様にもとてもよくしていただいて。お嬢様に使えるようになってからも、お2人の私への気遣いは変わりありませんでした。
 ですから、私はお2人に返しても返しきれないほどの恩があるのです。」

「それで、今でもこうして私によくしてくれているのね。」

「えぇ、当然のことですから。」

が時折感じていた、キイチが自分を通してみる眼差しに隠れた感情はこれだったのだ。
彼は私に両親との過去を重ねている。
それは、不快でも居心地の悪さでもなんでもなかった。


むしろ温かい、なにかに守られているような感覚。




は自分を包むふんわりとした空気に、愛しさがこみ上げていた。




様、忍の未来はたとえ数秒先でも何が起こるかわからないものなのです。」

「どういうこと?」

「私のことなど気にする必要はございません。今度その方がいらしたら、お客様としてきちんと迎えられたらいかがですか。」

「そうね。」



もう一度、来てくれたらいいのだけど。






カカシは上忍が待機する場所で1人、ぼんやりと窓の外にふる雨を見つめていた。
あれから数年たち、カカシは暗部を引退して今は上忍として里に身を捧げる毎日を送っている。



「お前、梅雨時になるといつもそうしてんな。」

いつも近寄りがたい空気をかもし出しているカカシに気軽に声をかける存在は木の葉広しといえどもほんの一握りしか存在しない。
特にこの時期はその空気もいつにもましてグッと鋭いものになる。
そんな数少ない中の1人が、今まさにカカシに話しかけた同じく上忍であるアスマである。


「別にーアスマには関係ないでしょ。」

「けっ、そうやっていつまでもすかしてろ。」

アスマはカカシの隣のソファーにどかっと腰をおろし、お馴染みのタバコをふかす。



「聞きたい?」

「あぁ?」



「つまんない話だけどね。」
そう言ってカカシは、ぽつりぽつりと話始めた。


こいつが、自分から過去の話するなんて・・・・珍しいにも程があるだろ。


アスマはいつもと違うカカシを目の当たりにして驚きながらも話に耳を傾けた。


「オレがまだバリバリの暗部だった時にね、1人の女の子に偶然出会ったんだ。」

「ほォ、お前の淡い初恋の話しか?」
アスマはこれみよがしにニヤニヤとした表情をカカシに向けている。

「そんなんじゃなーいよ。」

「なんだつまらん。」

「じゃあ、やめた。」


それまでのからかう気満々だった様子を引っ込め、アスマは先を話すようカカシを促した。


「な、なんだよ。そこまで言ったんなら最後まで聞かせろ。」

慌てた様子のアスマをチラ、と唯一出ている右目で横目に見てカカシは
「アスマってば、聞きたいなら初めからそう言いなよ。」


くそ、という悪態は心の中に仕舞っておいた。


「あーあーちゃかした俺が悪かったからよ。さっさと話せ。」

「んーま、出会ったのはちょうどこんな梅雨時でさ。
 その子、ぼんやりと光が見える程度の視力しかないのに人がいる所だけ色づいて見える、っていう変わった子でね。」

「なんだ?それ。」

「さぁ?オレもさらっと聞いたくらいだからあんまりよくわかんない。
 多分オレらでいう気配が視覚化したようなもんだと思うけど。」

「で?その子がなんだってんだ。」

「別にーその子に心が救われたってだけの話だよ。」

「はぁ?お前、なんだよそれ。」



「暗部にいたときさ、まー今もあんま変わんないけど。
 オレ、人殺すのなんて日常茶飯事だったんだよね。それこそ、半端ない量。」



「・・・・。」


「オレと違ってその子、っていうんだけど。は別の世界に生きてるみたいだった。」

カカシはそれまでアスマを見ていたが、すっと窓の外の雨に目線を向けた。



「んな事言ったって同じ人間に変わりねぇだろうが。」

「まーね。でも雰囲気がさ、ちょうどこんな穏やかな、儚いかんじの雨に似てたんだよね。」



まるで壊れそうな、愛おしいものでも見るかのようなカカシの視線は見ている者を切なくさせた。



そんないつもとは違うカカシの様子に少し戸惑うアスマだったが、ふぅーと煙を吐いて話の結末を促した。


「で?その子とは結局どうなったんだよ。」

「数回会って話しただけで、それっきり。」

「1度もか。」

「そうだよ。」

「死んだ訳じゃねぇんだろ?その子。」



「生きてるよ。」


はっきりとそう告げた、カカシの言葉はアスマにある確信をもたらす。


「様子見に行ってんなら声くらいかけたらどうだ?」



毎年梅雨が来てこんな穏やかに降り注ぐ雨を見ていると、カカシの足は自然とがいるあの窓の所に向いた。


何度姿を現そうとしただろう。
何度の名が口からこぼれ落ちそうになるのをとどまったことか。



しかし、そうする度にその欲求を上回る程の、若い頃におかした過ちに後悔の念が込み上げ1人そこから静かに立ち去るのであった。



「出来ないよ。」



「何でだよ。」

「オレ傷つけたんだ、の事。今さら合わす顔なんてない。」


「くだらねー。」


その言葉にカカシは今まで向けていた視線をアスマに戻した。

鋭い殺気と共に。



「んなどぎつい殺気向けんなよ。俺は思った事言っただけだろーが。」



すっと張り詰めた空気を元に戻しカカシは気まずい表情を浮かべた。




「・・・わかってるよ。は、オレが現れるのを今も待ってるんだ。」

「だったら会いに行きゃいーだろ。なに気取ってんだ、お前はよ。いつもそうだ、なにもかも諦めてますって顔して大事な事ほど曖昧にしやがって。」

「アスマ」

「ただ、自分が傷つくのが怖いだけだろ。くだらねぇ。」




「お前もわかってんだろ。忍なんてもんは、いつ死ぬかわかんねーんだよ。だったら、毎日後悔しねぇように生きるしかねーだろ。」




「そーだったね。」

「分かったかよ。だったらなりふり構わず今すぐにでもその子んとこ行け。」



「アスマ・・・・ありがと、あとよろしく。」
そう言い残し、カカシはその場を去っていった。




「今日のアイツ、ホントにあのはたけカカシかよ。」
気味が悪りーな、と呟いたアスマのタバコをくわえた口元はしっかりと上がっていた。







は、あの時と同じ窓際であの日と同じく1人座っている。
ただあの時と違うのは、が少女から女性へと変わっているという事。



瞳の強さは変わらないかな。



遠くから様子を見る事はあっても、あれから1度だってその瞳に自分の姿を映したことはない。
儚い印象を受けるのに、内に秘めた強さが瞳に宿る時、

カカシはひどく心惹かれた。


まだ少し躊躇っていたカカシであったが意を決して一歩、また一歩との前に踏み出して行く。



が気がつきそうな程、そばにいるのに。

一向に気づく気配がない事に焦れたカカシはずっと呼びたくて堪らなかった名を口にした。





。」




ぽつり、と漏らした名だったがしっかりと聞き取ったは、顔を声がする方に向けたはいいが驚きに言葉が出ない。



「あ、」


「久しぶりすぎてオレの事なんて忘れちゃったかな。」


変わらない綺麗な声。
あの時の鋭さは消え、今聞こえてきた声は落ち着きと柔らかさが混じって耳に心地よい。


ずっと聞きたかった。

耳が忘れても心が覚えてる。




にとってそんな人は彼1人しかいない。



「カカシさん」




「久しぶりだね、。」

「どうして・・・」

「今さらのこのこ会いに来たのかって?」



「違います!!」



「え?」
顔も見たくないと涙のひとつも流しながら罵られるくらいは覚悟していたカカシは、急なの大きな声に面食らった。


「どうしてあれから1度も会いに来てくれなかったんですか。」

・・・・」

「確かにあんなこと言った自分もいけなかったんです。カカシさんが二度と来ないって言ったのも分かってます。
 けど私・・・・貴方に一言謝りたくて、」


「ちょ、。ストップ。」

「え?」

「謝るのはオレのほうだ。」




「オレさ、あの時の事ずっと後悔してた。
 ホントは・・・・の事連れて帰りたいと思ったし、それがムリでも・・・・・二度と会わないなんて言う必要なかったんだ。」


「・・・・私の事迷惑に思ったんじゃないんですか?」

「そんなこと、思うわけないじゃない。オレがあの頃、に会う前なにしてたか知ってる?」

「い、いえ。」



この先を言うのは躊躇われたが、自分が過去にやってきたことは事実だ。





「人殺し。」





ひゅ、とが息を吸うのがわかった。
「忍の中でもオレがいた所は暗殺とか情報収集とか、まー危ない事を山ほどやってたわけ。」

「でも、それってカカシさんが好きでやってたわけじゃないですよね。」



「里のため、さ。その為なら忍は道具としてなんだってやる。」




「ホントはあの時、・・・の手をとろうとしたんだ。でもそんなオレがにふれていいわけないって、あの時気づいちゃったんだよね。」

「そんな、」

「オレ、に心を救って貰ってたんだよ。大袈裟かもしれないけどさ。」

「・・・・。」



「あんな態度だったけど、の側にてずっと救われる心地がしてた。でもね、」

「でも?」



といるとずっと誤魔化してた心が・・・また溢れだしそうだったんだ。
 忍として何も感じないようにって押し込めてた人間らしい感情とかね。」


「だから、・・・・二度と来ないと?」

「そう、といたら忍の自分に戻れなくなるから。にずっとそばにいて欲しくて、思わず手をとってしまいそうだったから。
 だから・・・だからあの時、もう会わない方がいいって思ったんだ。ごめんね、勝手で。」


「今は違うんですか?」

相変わらず自分が見る彼の色は同じに見えたけど、今のカカシさんは何となく落ち着いているというか、柔らかさがあると思う。


「今は子どもたちの指導をしてる。」

「カカシさん。」

「ん?」




「心が救われていたのは、私も同じです。」




「え?」

「私、あの時両親を亡くしたばかりで。自分は何のために生きて何のために死んでいくんだろうって。
 思えば思うほどに自分の存在に必要性が感じられなくて。・・・あの頃はそんなことばかり考えていました。」

「そんなこと・・・・」


「自分の殻に閉じ籠って。声も失いそうだった。どうせ視力もないんだから・・・・無くてもいいなんて思って。
 そんな時、貴方に出会ったんです。言葉も態度もそっけなかったけど、カカシさんの心はいつもあたたかい気がしていました。
 貴方との時間は知らない世界と繋がっているみたいでした。カカシさんはカカシさんなりの世界を教えてくれたから、
 ・・・・だから私あんな事を。迷惑も考えずにすみませんでした。」




「たぶん・・・・さ。」

「はい。」


「幼かったんだと思う、オレたち。」


「かもしれませんね。」



くすくすと笑うの顔は今まで見てきたどの人間の表情よりも美しくて、愛おしいとカカシはこの時思った。



「カカシさん。」

「ん?」




「雨は今も変わらず、あたたかいですか?」




カカシは若い頃に出来なかった、ずっと想っていた事を


今度こそは成し遂げようと1歩ずつの方に近づく。






「自分で確かめてみなよ。」

急に耳元でカカシの声がしたかと思うと、あっという間に身体が浮く感覚が全身に広がった。



驚く暇もなく


気づけば自分は、外の世界にいた。



「あ・・・・。」




「これが・・・雨?」

カカシに横抱きにされながら、は雨の降る空へと顔をあげて瞳を閉じる。




彼女の手に、顔に、足に全身に雨が優しく降りそそぐ。




「どう、雨は?」






生まれて初めてふれた雨は、優しくて、穏やかで。


包みこまれるような感覚がとてもあたたかい。




それはまるで、心を救うこのたった1つの存在のように。











いかがでしたでしょうか、単発夢『雨にふれたい』でした。

このお話は、少し思い入れがありまして。お話自体を考えたのは最近なのですが
ヒロインが愛おしい人を思って窓枠から一生懸命腕を伸ばしているけど雨には届かない、という情景と冒頭の詩を
それこそ、うーんと昔に作っていました。

このサイトを立ち上げてから、ずっと書きたかった夢です。

ワタクシの名が時雨なのも、サイト名が雨音なのもそのためだったりします。
しかーしぜんっぜん甘くもなんともない上にスキとか以前の話なので、好き嫌いあると思われますが(汗

しょせん自己満足です!(どーん